韓国ドラマ「検事プリンセス」の二次小説、「追憶の香り」後編です。
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この話はシリーズの最新作になります。「夢桜」の続編。
追憶の香り(後編)辞令には、ヘリが春川に異動になることが記されていた。
「そうですか」
ホン・ヨナンは、相槌を打ったあと、しばらく黙った。
そして、浅いため息をつくと、両手を組んで、ソファの背に体をもたれさせた。
「老婆心ながら、私で良ければ、ヘリさんのお悩みを聞かせてもらえますか?ヘリさんより長く生きているので、何かアドバイスできることもあるかもしれません」
「ええ。ありがとうございます」
ヘリは、ホン・ヨナンに微かにお辞儀した。
親やイヌに伝えることは、まだためらっていたが、誰かにこの想いを話したかったヘリだった。
人生でも職場でも、大勢の人達と関わってきたホン・ヨナンなら、この気持ちはわかるだろうか…。
そんな思いで、ヘリはぽつぽつと話し始めた。
「職場の異動先が、ソウルより遠い場所になりました。もし行くことになれば、私は両親と離れて暮らすことになります。もちろん、イヌともです。職業柄、ずっと覚悟をしてきたつもりです。でも、いざ、通知をもらったら、決意が揺らいでしまったのも事実です」
「ヘリさんは、一人娘でしたね。ご両親の反対がありましたか?」
そう聞くホン・ヨナンに、ヘリは首を横に振った。
「まだ、両親と話し合っていません。ただ、両親も私の職業柄、そういうことがあるというのは薄々分かっていますし、おそらく私の決断を尊重してくれると思っています」
ヘリの父親。マ・サンテは、一人娘を溺愛していた。
ヘリが仕事で遠い場所に住むとなれば、昔のサンテなら、大反対して、検事を辞めろと言っただろう。
だが、今なら、渋い顔をしたとしても、娘の意志を尊重してくれる。
そんな確信があった。
「では、ソ・イヌ君が反対をしましたか?」
「いいえ…」
ヘリは、握りしめた自分の両手に目を落とした。
「彼にはまだ伝えていません。ただ…。この辞令が出る前に少し話はしました」
あの桜が散った並木道で。
『僕の心はいつも君の側にある』
たとえ、離れてることになっても、心は変わらない。
イヌは、ヘリにそう言ってくれていた。
イヌも、ヘリがどんな決定をしても、受け入れてくれることだろう。
それが分かったから、余計に、ヘリの中に戸惑いのような感情が生まれていた。
・・・皆、私の答えを受け入れてくれる。
たとえ、すぐに会える距離にいられずに寂しいと感じてくれていても。
両親も。イヌも。親友のユナも。
だったら、私は・・・。
「…以前、イヌが、何かの選択に迷った時。『自分がどうしたいのか分かっていたら答えは出るはずだ。頭じゃなくて心で分かっていればの話だが』って話していたことがあります。私は今、自分の心が分かりません」
ヘリは、ホン・ヨナンに話しながら、自分の心にも問いかけていた。
2つに分かれた道のどちらを選ぶのか。
「その分岐点の先のことを考えると、どうしたら一番良いのか、分からなくなっています」
そう呟いて、無言になったヘリを、ホン・ヨナンはジッと見つめていた。
そして、小さく吐息をついた後、ゆっくりとした口調で言った。
「一番良い方向は分からなくとも、ヘリさんが一番何がしたいかは分かっているのではないですか?」
「・・・・・・」
「どの道に行くかを選んだ時、別の道に待っている未来は消えます。だから、人は迷ってしまうのです」
ホン・ヨナンが続けた。
「後悔の無い道を選ぶなど困難なことです。しかし、自分で選択した道を歩いていながら、自分の現状に不満を持ち、文句と愚痴を言い続けている人間は、たとえ、過去にどんな選択をしていようとも、必ず、同じように愚痴をこぼし続けますよ」
ホン・ヨナンの言っていることは、ある意味、手厳しかったが、最なことだった。
だが、それを強く言い切ることが出来るのは、やはりホン・ヨナンが今までの人生で、いろんな修羅場をくぐってきた経験があるからなのだろう、とヘリは考えた。
そんなヘリの思いが、またも表情に出ていたのだろう。
ホン・ヨナンを見つめ返すヘリの顔に、ホン・ヨナンが、ふっとやわらかな笑みを浮かべた。
「私も、さんざん後悔しましたよ」
ホン・ヨナンが言った。
そして、おもむろに店内を見回した後、再びヘリの顔に視線を戻した。
「ヘリさん。この店はね、私が昔の恋人に紹介してもらった店なんですよ」
…え?
いきなり深いプライベートにかかわった話題にヘリが驚いている間にもホン・ヨナンは話し続けた。
「まだ、今の妻と出会う前の話です。学生時代につきあっていた恋人です。とても気があっていて、結婚も考えていたほどです。彼女は紅茶好きで、この店の常連でした。彼女に連れてきてもらってから私も紅茶好きになり、この店にもよく通いました。あの頃、店の今のマスターも見習いでした」
ホン・ヨナンは、そう言って、懐かしそうな顔でカウンターにいるマスターの方に目をやった。
ちょうど、そこに、女性従業員が、ヘリとホン・ヨナンが注文した紅茶を運んできた。
ヘリの前にはロイヤルミルクティーが。ホン・ヨナンの前にはシャリマティーが置かれた。
甘いミルクと紅茶の香り、そして、オレンジと少量の洋酒のような香りが、周囲に漂った。
それは、ヘリの、黒々と絡まった思考を解きほぐしてくれるような効果をもたらした。
「とても、良い香りです」
ヘリが紅茶カップをのぞきこんで、うっとりと言った。
「さあ、どうぞ、召し上がってください」
ホン・ヨナンのすすめに、ヘリは、素直に「はい」と頷くと、紅茶カップを手にとって口に含んだ。
口の中で、濃厚なミルクと深みのある紅茶の味が広がった。
砂糖が少量すでに入っているようで、微かに甘い。
しかし、紅茶の味を邪魔しない程度に。むしろ引き立てるかのように加えられていた。
「美味しいです」
ヘリが感動して、思わず吐息をもらした。
ただ、初めて口にしたはずなのに、この味を知っている。
ヘリが、そう思った時、ヘリの心を読んだようにホン・ヨナンが言った。
「ソ・イヌ君も、この店に何回か連れてきています。その時に、イヌ君は、マスターが紅茶を淹れる姿を観察していました。もしかしたら、ヘリさんがイヌ君に淹れてもらっているロイヤルミルクティーの味に似ているのではないですか?」
「はい」
「彼は、おそらく、このシャリマティーの作り方もマスターしていることでしょう。彼もこのシャリマティーがお気にいりのようでした」
「そうだったのですね。でも、不思議。イヌは、一度も私にシャリマティーを作ってくれたことがありません」
「それは、きっと、イヌ君が自分の作る味にまだ納得していないからでしょう。彼は、自信のある物しか他人に披露しないでしょうから」
イヌをよく知っているようなホン・ヨナンの言葉に、同意したヘリは思わず噴き出した。
「確かに。彼には、そういうところがあります」
プライドの高いイヌは、完璧な物を目指し、不完全な味の紅茶をヘリに飲ませたりしないだろう。
「この店のシャリマティーは、素人には、なかなか真似できない奥深い味です。ですが、ソ・イヌ君なら、いつか再現してくれるかもしれません」
「ええ」
ふふふっと笑うヘリに、ホン・ヨナンも笑みを浮かべた。
「今度は、私もシャリマティーを頂きます」
そう言って、ロイヤルミルクティーを、大切そうに飲むヘリを、ホン・ヨナンは、目を細めて見守っていた。
「私のかつての恋人も、そうやってその場所に座って紅茶を飲んでいました。彼女は、この店のロイヤルミルクティーが一番のお気に入りでした。何度一緒に来ても、他の物は頼まず、いつもホットのロイヤルミルクティーだけ口にしてました」
そう語るホン・ヨナンの顔は、懐かしそうで、どこか寂し気な影もあった。
「結婚まで考えていらした、その彼女とは、その後、どうされたのですか?」
そう聞いてから、ヘリは、ハッと口をつぐんで、慌てて謝罪した。
「ごめんなさい」
興味にあることに、つい相手の気持ちを考えずに問いかけてしまう自分の癖を自覚してから、気をつけてはいたが、やはり、とっさに出てしまうことを反省したヘリだった。
「いえ、いいのですよ。この話題をふったのは私ですから」
ホン・ヨナンが首を振って言った。
「彼女とは、私が親の会社で働くようになって、しばらくしてから別れました。彼女には、海外でかなえたい夢があったのです。そして、私は会社の跡取りという選択をしました」
「・・・・・・」
「彼女に、私と結婚してから夢をかなえる道を探らないか?と提案したことがあります。
彼女から、親の会社では無く、自分で事業を起こさないの?と聞かれたことがあります。私たちには、共にいられる選択肢は他にもあったのです。でも、結局、別れる道を選びました」
「…それを後悔しているのですか?」
おずおずと、そう尋ねるヘリに、ホン・ヨナンは苦笑を浮かべた。
「その後、別の道を選んでいたら、どうなっていただろう?と考えたことは、何度もあります。この紅茶の香りは、過去の記憶を鮮明に蘇らせ、あの頃の気持ちをとても美しく感じさせます。彼女をとても愛おしいと思ったことも。でも、もし、あの時…は、存在しません。
あの時、別の道を選択していても、今歩いている道の可能性を考えることはあるでしょう。後悔しても、それでも、現状でより良い未来の道を探りながら歩いていく。おそらく人生の最後まで、その繰り返しでしょう」
後悔したとしても、その後にどうするかを考え、決めること。
正解は無いのだと、ホン・ヨナンは言っているようだった。
「人生、塞翁が馬ですから」
ホン・ヨナンが、ヘリの思いをまとめるように言うと、紅茶を口にした。
「…だから、自分が今一番したい、と思うことを。優先したいという道を選ぶということなのですね」
呟くように言ったヘリに、ホン・ヨナンが頷いた。
「後になって、自分の不遇を他人のせいにしたくなる事も出てくるでしょう。本当はこうしたかったのに、誰かのせいでその道をふさがれたと。そういうこともあります。ただ、ヘリさんの周囲の人は、皆ヘリさんの選択を応援してくれているようです。恋人も。ならば、ヘリさんは堂々と自分の人生を歩めばいい」
ホン・ヨナンが言った。
「あなたの決めた道を進めば良いのです」
ヘリは、無言でホン・ヨナンを見つめた後、ロイヤルミルクティーを口に含んだ。
それは、冷めていても、甘く優しい味だった。
ヘリは、紅茶を飲み干すと、カップをソーサーに置いた。
「はい」
ヘリの中では、もうすでに答えが出ていたこと。
それが、ホン・ヨナンの言葉で、迷いの霧が晴れたように思った。
そんなヘリの表情に、ホン・ヨナンもヘリの心を読んだように、微笑んでいた。
―――あの時から、年月が過ぎて。
ヘリは、あれから、自分の選択した道をまっすぐ歩いて、今ここにいる。
行く先々で、新しい悩みや選択肢が出てきていたが、ヘリはその都度、解決してきた。
変化したことも沢山あった。
でも、変わらずにあるものも、存在した。
リビングの扉が静かに開いた。
ヘリは、風呂上りの濡れた短髪をタオルで拭きながら、部屋着姿で入ってきたイヌを見やった。
イヌが、ヘリがキッチンカウンターの上に並べていた紅茶カップに気づいた。
「ホン・ヨナンさんが贈ってくれたカップよ。これを見ながら、私もホン・ヨナンさんを偲びながらイヌの晩酌につきあうわ」
「うん…」
イヌは、紅茶カップを手にとって、ジッと眺めると、ヘリのいるキッチンの内側に入って来た。
「イヌ?」
不思議そうなヘリの脇を通って、イヌが冷蔵庫を開けた。
「酒じゃなくて、紅茶を淹れよう。ロイヤルミルクティーとシャリマティーを。材料はあるかな?」
「ミルクとオレンジ、茶葉はあるけど、他の材料はどう?」
「うん…。あるな」
イヌが、シャリマティーの材料を確認して頷いた。
「ヘリ。少し待てるか?」
「ええ」
イヌは、キッチンの中で、ヘリと場所を交代すると、紅茶を淹れる準備を始めた。
ヘリは、キッチンカウンターの対面の椅子に座ると、黙ってイヌの作業を見守っていた。
やがて、キッチンに、甘いミルクティーとシャリマティーの香りが広がった。
イヌは、温めた紅茶カップの中に、それらを丁寧に注いだ。
そして、ヘリの方に、ロイヤルミルクティーの入ったカップを差し出した。
「ありがと。イヌ」
ヘリは、カップを受け取って微笑んだ。
香りは記憶を蘇せる。
イヌの入れた紅茶の香りは、あの時の店とホン・ヨナンを思い出させた。
ホン・ヨナンに連れていってもらった、紅茶専門店は、今はもうあの場所には無かった。
数年前、マスターが体調を崩し、そして、店の後継者もいなかった為だった。
惜しまれながら、店はたたまれ、店は紅茶の味を愛していた人達の間で、永遠の思い出となった。
そして、ホン・ヨナンももういない。
ヘリはイヌと一緒に、ホン・ヨナンを悼みながら、しばらく無言で紅茶を飲んだ。
「私、イヌの淹れた、このロイヤルミルクティーの味が好きよ」
ややあって、ヘリがぽつりと言った。
「ホン・ヨナンさんがお気にいりだった店のマスター直伝だからな」
「え?直伝って、見て覚えたんじゃなくて、教えてもらったことがあったの?」
「ああ。何度か通ったよ。マスターが、淹れ方を教えてくれた。あの頃、マスターは、自分の体調不良で店を続けられなくなることが分かっていたのかもしれない。ネットにはこれのレシピも公開して残してくれていた」
「そうだったのね」
「うん。シャリマティーも。ただ、どうしてかな。同じレシピなのに、マスターの味にはまだ叶わないって思うのは」
「きっと。師匠だからよ。私も先輩たちは、ずっと先輩だって今でも感じるもの」
「そうだな。ホン・ヨナンさんも。俺にはずっと尊敬する人だ。これからも」
「うん…」
イヌの瞳が潤んで見えるのは、紅茶の湯気のせいでは無い。
そんなイヌの顔を直視しないように、視線をそらせたヘリに、イヌが手を伸ばした。
そして、テーブルの上にあったヘリの手にイヌはそっと手を重ねた。
ヘリが顔を上げて、イヌを見た。
そして、イヌの頬に流れる涙を見ると、すぐに同調して、涙をあふれさせた。
仕事で沢山の事件に関わってきて、新人の時のように、職務中は泣くことがなくなったヘリだったが、涙もろい性格は変わってはいなかった。
テーブルの上で、手を握り合って、ヘリとイヌは、静かに泣いた。
ヘリの心の中で、あの時のホン・ヨナンの言葉が聞こえた。
『どんな道を選ぼうとも、私はあなたを応援していますよ。ヘリさん』
紅茶の香りと、彼がかけてくれた声の記憶は、これからもヘリの中で永遠に残るだろう。
…ホン・ヨナンさん、ありがとう。さようなら。
心の中で、自分たちを大切に想ってくれた人への感謝と追悼の意を込めて。
ヘリは、紅茶の香りに包まれながら、イヌの手の温もりを感じていた。
(終わり)
この小説のモデルになった実在していた紅茶のお店は、今でもみつばの中で、一番好きな店です。紅茶好きのみつばですが、この店のより美味しい紅茶をまだ飲んだことがありません。
今までの二次小説の中でもたびたび登場したオリジナルキャラクター。ホン・ヨナンのイメージでモデルにさせて頂いた人は、みつばがとてもお世話になった方でした。
「あなたの夢を応援していますよ」と最後にお会いした時にかけて下さった声を今でも覚えています。
小説の中でホン・ヨナンがヘリに言った言葉を、自分の中で何度も繰り返してますが、今でも割り切ることが出来ずにいることもあります。いつかホン・ヨナンのように言い切れるようになったら、後悔も全部受け止めて、自分という生き方をしているのだろうかって考えたりします。
「検事プリンセス」のドラマも、放送されてから10年の月日がたちました。
みつばの中では、あの時ときめいていた気持ちを、これからも忘れないと思います。
検事プリンセスファンの方も、そうでなくても、この小説を読んで頂いた方も、ありがとうございました。
検事プリンセスの二次小説シリーズは、次作品で、シーズン1の物語を終わらせて頂きますが、二次小説の次回更新は未定です。
【拍手コメントレス】
最終話の更新時、一人でも読者さんがいればいいな~…と、消極的な希望でしたが、時間がたっても、始めた物語をちゃんとまとめておきたい思いでした。イヌの番外編話「miss you」バレンタインの話「ゲレンデへいこう」が、数話未公開の状態になっているのですが、これらも、完結できたら、ひょっこり更新するかもです。読んで頂きありがとうございました。
(連絡)「陳情令」記事への拍手コメント、拍手、送ってくださった方、ありがとうございます!
メールやメールフォームからのコメントもありがとうございます。お返事はゆっくりになりますが、少々お待ちくださいね。
拍手コメントの方は、深夜更新記事でさせて頂きます。ブログの記事への感想、応援、ありがとうございました。
ドラマを知らなくても小説を読んでくださった方、検事プリンセスファンです。という方も。
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